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2017年04月10日

動物の『生きる権利』や『命の重さ』は、みな同じ‥、ですか?

子猫の命、重さはいかほど・・?
最近は、少なくなりましたが、夜中に突然、病院のインターホンを鳴らし、『猫がケガをしているから診てくれ!!』と、何の前触れもなく、呼び出されることがありました。しかし、その猫の多くは野良猫です。
飼い主のいない動物(野生動物は別として)の診察は、原則、お断わりしていますが、状況によっては、『飼い主を探してもらうこと』を前提に預かり、治療します。しかし、最終的に見つからなければ、“安楽死”することになります。
でも、こういう事例に限って、治療費を払ってもらえないことも多く、そういう人たちの社会的良識の無さに呆れることもしばしばあります。
また、ある時、診察するかどうかで、状況を聞かせてもらっていると、それに苛ついたのか、突然、怒り出し、『猫も人も命は同じだ』、『お前は獣医だろう! この命を見殺しにするならマスコミに訴える。こんな病院は潰す!!』とまで言われ、仕方なく診察したことがあります。しかし、このままでは終われません。猫の治療はさておき、連れてきた者に対し、猫の『命の重さ』や『動物観』についてなどなど、深夜に延々と2時間、説教をし、『動物』に対する考え方を改めてもらったことがあります。

今回、このような問題に関連し、動物の『生きる権利』や『命の重さ』をどう評価するか、ということについて語ってみたいと思います。

生き物には『生きる権利』が与えられています。例えば、野生動物には、“自らの力で、与えられた自然環境の中で『生きていく権利』”があるということです。

では、人が餌を与え、生かされている動物(家畜やペットなど)の『生きる権利』や『命の重さ』はどうあるべきでしょう。

牛や豚などの家畜は、誰にとっても有益なものです。乳や卵や被毛をもたらし、あるものは使役に使い、最後は“命”に変えて、肉や皮革をもたらしてくれます。それ故に、その家畜の『命の重さ』は、お金に換算することもできます。
飼育者は、最大限の愛情を持って、管理し、育て、その利益が最大となるところで、その“命”を絶ち(屠殺し)ます。この時点での、その動物の『生きる権利』はありません。しかし、これによって多くの人々に“幸せ(食物)”がもたらされます。
すなわち、家畜の“命”は“人々の幸せ”のためにあり、人の衣食の豊かさは、家畜の“命の代償”といってもいいでしょう。そういう意味でも、家畜の“命”は愛しみたいものです。

一方、犬や猫のようなペット動物は、飼い主個人の“思い入れ”(価値観)によって、その動物の『命の重さ』が決まります。飼い主にとっては、“大切な命”です。当然、『生きる権利』も最大限に与えられます。

ところが、本来、人に幸せをもたらすべき猫が野良化し、地域の人々に迷惑をかける、疎ましい存在になったとしたら、その『命の重さ』や『生きる権利』をどう考えるべきでしょう。
もし、その野良猫に餌を与え、世話をしている人なら、その猫の『命の重さ』や『生きる権利』を守るべきだと主張するに違いありません。しかし、その地域住民は、多くの問題や迷惑を被り、その猫に『命の重み』や『生きる権利』は、正直、認めたくはありません。結局、猫に対する“個人的価値観“や“思い”によってその評価は、大きく分かれます。

一般論として、いくら世話をする人に“思い入れ”(利益)があったとしても、自ら世話をしている動物が、誰であろうと他人に迷惑をかけるようなことがあってはいけません。もし、他人に損害を与えるようなことがあれば、それを償う責任もあります。
結局、飼育動物に関する個人的価値観を他人にまで押しつけることはできません。
他人が犠牲になるような、独りよがりな“動物愛護”なんて、あってはいけないということです。“動物の保護や愛護”は、普遍的なものでなければいけません。
例えば、ツシマヤマネコやイリオモテヤマネコのように自分の力で野生に生きている山猫の“命”は、希少で、とても“重いもの”です。生物学的にも生態学的にも大切にしなければいけない、かけがえのない“命”です。その『命=生きる権利』を守る(動物保護)活動なら、誰からも非難を受けない、普遍的価値があります。
ところが、野良猫や野猫の『命=生きる権利』を守る活動は、多くの人から迷惑がられます。これは個人的価値観から発している活動だからです。従って、両者を同一視することは、全くナンセンスなのです。
もし、仮に、その野良猫が、地域に発生する有害なネズミをことごとく捕り、地域の衛生や財産を守ってくれるのであれば、地域の人々はその猫に『生きる権利』を認めるかもしれません。しかし、街の花壇にオシッコをかけて、花を枯らしてしまうなら、その猫の『生きる権利』を認めたくない人も現れるでしょう。
人から餌が与えられ、世話をされている動物は、生きていれば“幸せ”ということではなく、どれだけの“幸せ”が、人にもたらされるかが問題で、それによって、その動物の『命の重さ』や『生きる権利』が自然に決まります。



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この記事へのコメント
初めまして。私は、酪農家から愛護センター愛護センターへ転職した者です。記事を興味深く読まさせていただきました。
私も、元酪農家として、子供達に「命の大切さ」などを語らせてもらっていますが、「命の重さ」などそんな簡単に測れるものでも、語れるものでもないと思っています。
私のように、長く現場の人間として、たくさんの命と向き合い、送り出して来た人間でさえ、なかなかうまく伝えることができませんし、まだまだ知っていかなければならないことが山ほどあります。
そんな中、ひとりよがりな動物愛護精神で気軽に、「命の重さ」を語る方がいると、???という気持ちになります。そういった方は、
本当は意外と命についての理解が薄いのかもしれませんね。
私は、「死」ということについても、しっかり考えています。
例えば、なぜ家畜は死ななければならないのか?そして私たちは、その死にどう答えていくべきか。
また、なぜ本来ペットである犬や猫が、寿命意外で死ななければならないのか?なぜ殺されなければならないのか?など。

ブログを読ませていただき、私も大変勉強になりました。
今後の自分に役立てていきたいと思います
Posted by 牛人(うしんちゅう)牛人(うしんちゅう) at 2017年04月10日 21:22
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